Profile

松田 未生

Mio Matsuda

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株式会社松田プレゼンツ 代表取締役

松田プレゼンツ 代表プレゼンター

生年月日:9月28日

身長  :179cm

血液型 :A 型

出身地 :東京都

学歴  :高千穂大学商学部商学科卒

趣味  :テレビ・ラジオ・映画鑑賞、草野球

資格  :日本赤十字社水上安全法救助員、日本体育施設協会水泳指導管理士


【主なスキル】

プール監視員歴15年、水泳指導歴13年、映像撮影、動画編集歴10年、舞台制作歴10年、WEBデザイン等業務歴10年、iPhone修理歴3年 ほか



【これまでの人生の歩み】

<小・中学時代>

スポーツは水泳しかやってこなかったが、水泳よりも野球に興味があり、テレビ中継の巨人戦を楽しむ。

また幼少からテレビバラエティ番組を好み、「ドリフ」「ウリナリ」「生ダラ」「ボキャブラ天国」など、時代を彩ったバラエティ番組に強い影響を受けて育つ。


<高校時代>

高校時代にDVD普及を契機として映画鑑賞にハマり、特にジャッキー・チェンを始めとした肉体派アクション映画、「007シリーズ」に強い影響を受ける。

また競泳選手として水泳を何とか続けていたことで、運良くJOCジュニアオリンピックカップ(全国大会)に3度出場。

高校3年時、友人たちと自宅にあったビデオカメラとPCを使い、自主制作映画を撮影、編集。DVD編集、パッケージ製作まで一人で行う。


<大学時代>

【19歳】高千穂大学商学部大学に入るが、ゼミで出会った先生の薦めで環境問題の研究に取り組む。大学の4年間で「地球温暖化」「原発」について勉強し、テレビや新聞の報道をそのまま受け取らず、根拠となる科学的データや客観的事実から考えを深めることの重要性に気づく。この頃から「ニュースから真実を読み取る感性を磨く」ことを信条とし、考えのない協調よりも常識に因われない感性に基づく行動を意識するようになる。誰のものでもない「僕なりのエンターテイメント」で人生を明るくしていくことを目指すようになる。


【20歳】大学2年時にももう一本、自主制作映画を製作。この時プロ向けの編集ソフトを使い、映像編集を独学で覚える。

新しいことを始めてみようと思い、友人から誘われハンドボールのチームに入る。1年練習後、社会人リーグにチームが登録され1シーズン試合に出るようになる。

同時期、アクション映画好きだったことをキッカケに、トレーニングを兼ねてアクション教室に参加し殺陣を学ぶ。教室の縁で舞台に出演することになり、20歳で初舞台。


【21歳】大学3年時、中学の同級生が主宰していた劇団公演を見てエネルギーを感じ、手伝いとして参加することに。ブログ更新、映像撮影などスタッフのつもりが出演も兼ねることとなり、以後、舞台に立つようになる。また劇団でネット番組制作、ホームページ作成、DVD作成などを行うようになる。


【22歳】大学4年時、就職活動をするがうまくいかず、並行して劇団に関わり出演やスタッフ業を続けていく。そのまま就職に至らず、大学卒業。


<社会人>

【23歳】劇団への関わりを続けることにしたが、卒業したためこのままでは肩書が何もない「フリーター」「ニート」となることを危惧し、会社として劇団や自分の好きなことをできる環境の構築を企てる。計画も手段も何も無いところから勢いで会社を始めたため、「28歳になる起業から5年後に会社を続けるか、次の5年を決めよう」自身の思いを胸に秘め、いきなり経営者としての人生がスタートする。

2010年2月「株式会社松田プレゼンツ」を設立し、代表取締役に就任。会社として劇団公演の企画制作、付帯する業務を行うと共に、外部イベントの制作、映像やDVDの製作などを行い、会社を営むことを決意。

【24歳〜25歳】劇団の公演を年に3〜4本と精力的に行うが、会社の営業成績としては非常に厳しい状態が続く。更に東日本大震災や景況の悪化が重なり、学生時代からの劇団公演主体の会社経営に限界を覚える。

【26歳〜28歳】5年で20回越えるを劇団公演やその間の外注業務などを経て、「世の中が必要としているものを」「人が困っていること」などニーズに応える業務を主体としながら、自社の企画制作を行っていく体系へのシフトを考えるようになる。この頃から様々な商材、事業を企画立案するようになり、外注業務を増やすようになる。

無我夢中で過ごしたが気がつけば起業から5年が経つもまだ会社が存続していたため、「33歳まで、もう5年やってみよう」と思う。

【29歳】この頃から生き方に悩み、続けていた自主企画公演がゼロの年となる。「なぜ起業したのか」「自分がやりたいことは何か」「人生にとって大事なことは何か」という、人生観を漠然と考え出すようになる。一方でこの年にiPhone好きが講じてアイフォンドクター大井町店を開業。

【30歳〜】仕事の質や量について真剣に悩み、また日々の過ごし方を少し楽にしていくことを真剣に考える。「一生懸命だけど、のんびり過ごす」ことを目標に、仕事や生活スタイルを整理する。15歳から続けていたプール管理(監視員)の仕事や、水泳指導の仕事を1回休業することを決意。その後は舞台関係と、会社で企画立案した事業を軸に、自分のやりたいことをじっくり行う環境の構築を目指して、日々奮闘。一方で身体の動く20代に余りできなかった「好きな野球をやれるうちにやりたい」という想いを実現するため、仕事の合間を縫って草野球を楽しむ。

"僕なりのエンターテイメント"で世のニーズに応える松田プレゼンツの「プレゼンター」として、現在は仕事と草野球に意欲的に取り組み、明るい未来に生きるための挑戦を続けている。



人生はエンターテイメント。

人生は大いなる憂さ晴らし。

小さな輪を繋げて大きな輪を作ろう。力を合わせれば、きっと想いは繋がっていく。

世の中のヒト・コト・モノを様々な手法とコンセプトでプレゼント。

それが僕なりのエンターテイメント。


好きな言葉として関東大震災の復興計画に大きく寄与された、後藤新平氏の言葉。

まったく何も取らないという決心をもって、まったく何も取らないよう奮闘せよ。それが無形の大所得を勝ち取る道である。

東日本大震災の後で震災の話題に絡み、ある日の産経新聞「産経抄」内で関東大震災時の復興計画について記事を読み、その中で紹介された氏とこの言葉。とても響きました。いまでも自分の中に大切に刻まれています。

とにかく「やりたい」「面白い」と思ったこと、一生懸命やります!世のため人のため。いつか大きな財産となって返ってくると信じて。